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無駄かもしれない足掻き

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職場にいる時間と仕事量の関係について

パーキンソンの法則というものがある。

第1法則
仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する
第2法則
支出の額は、収入の額に達するまで膨張する

パーキンソンの法則

これまで私は日々終電に駆け込むような生活を送っていて、常々「なんでこんなに仕事が終わらないんだろう」と考えていた。
まぁ健康的でないことは明らかで、ある時口許の痙攣が止まらなくなった。ふと気が付くと口が半開きになって閉じられず、自分自身も不快だし傍から見ても奇妙な状態だったので、時間を見て病院に行った。

別に大した病名がつけられることはなかったが、ストレスや栄養不足といった不規則な生活が原因で起こるという事で、なるべく規則正しい生活を送るよう注意された。

そういわれたときに、なんとなくだが何かが途切れる感じがした。
今までは難しい仕事やら何やらが降りかかってきたとしても、面白そうであればなりふり構わず食いついていった。もちろん失敗してばかりだが、意欲的だと評価されていたんじゃないかと思う。
ただ、私は会社に対してそこまでの義理はないのではないか、と思ってしまったのだ。
たとえば病院で大仰な病名をつけられて、入院だなんだという話になったとしても、会社からは一定額の休業手当が出るくらいだ。出るだけマシなのかもしれないが。
それで何か後遺症が出たとしても、会社は何もしてくれないのだ。たとえ何かしてくれたとしても、後遺症がある、という状態は私自身が引き受けざるを得ないものであり、先天のものも含めて私はより社会的に外れた立場に置かれることになるだろう。

うだうだ書いたが、要は「私の人生は私が責任もってどうにかすべき事項であり、他人や組織が面倒を見てくれるわけではない」ということが身にしみて分かったのだ。

会社という組織に見切りをつけたと言ってもいい。
社員のことを考えている、と言われても、結局のところ限度はある。その限度を超えたところで起きることはすべて自分でどうにかしなければならない、そういう当たり前のことだ。

ので、私は早く帰ることにした。
もちろん担当している仕事はきっちり仕上げるし、程度の問題もあるが新しい仕事も引き受けている。締切にも遅れていない。
自己評価にはなるが、仕事の質と量はそこまで変わっていないだろう。

ではなぜ今まであそこまで帰りが遅れていたのか。
そこにパーキンソンの法則が出てくる。
周囲が帰らないのでなんとなく帰らずにいると、不思議と仕事が湧いてくる。湧いてくるものだから片付ける必要が出てきて、その過程で新たに問題が出てくる。その繰り返しをつづければ終電間際になるのも当たり前だ。

久しぶりに会った同期が「週に3回は徹夜している」と言っていた。
別の同期は終電を気にするのが嫌になって会社の近くに引っ越したらしい。
ストレスで太った奴もいるし、逆に痩せた奴もいる。

その状況を作り出しているのは自分かもしれない、という現実に目を背けて、ただ「慣れてないから時間がかかっている」「難しい仕事だから当然時間がかかる」といった金科玉条に縋っている。
「自分は難しいことを任されるほどに信頼されているのだ」という幻の自尊心が、仕事を終わらせることを許さない。
そんな腐った自己陶酔から何が生まれるというんだろう。

だから私は早く帰る。
今は20時半を目安にしているが、最終的には19時、18時半を目指す。

「難しい仕事なんだから時間がかかる」と思っているから仕事が終わらないのだ。
それに気が付けただけでも大きい気がする。