無駄かもしれない足掻き

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息苦しさと降る雨を前に無力を噛み締める

社会人になって、2回の給料日を迎えました。
PCを買い替えたり、両親にプレゼントを買ったり、会社の友達とちょっといいホテルに泊まったりしました。

仕事はまぁそれなりに順調です。
あまり詳しいことは言えませんが、周囲と同じくらいか、ズレても半歩くらいのあたりでうろうろしてます。

コーディングもいろいろな壁はありますがなんとなくオブジェクト指向がわかってきた…ような気がするところです。

外から見ればそれなりに、って感じですね。

なんというか、それなりで済めばいいんですけど。て気分です。

それなりに大きな会社にいるので、年齢で見ても相当幅広く(こないだ32歳の同期がいるとわかった)、学歴も経験もすべてバラバラな同期たちがいます。
話してみるとみんな違った考え方をしていて、昼休みとか就業前とか就業後とかに雑談するのがとても楽しいです。

でも、彼らにも1つだけ共通点があるんですね。
上昇志向が強いというか、とにかく「自分がやりたいこと」がかなりはっきりしてるんです。
今の会社にとどまるかどうかは別としても、たとえば3年後にどうなっていたいか、が明確になってる人たちばかりです。そのために今何をすべきかっていう視点から今の業務をとらえるから、行動にブレがなくて、とてもまっすぐに筋が通った生き方・考え方をしている人が多いです。


それを見ながら、ただ茫然と「すごいなー」と思わざるを得ない、というのが今の僕です。
思えば、僕は今までろくに目標も定めずに生きてきましたし、生きてこられるだけの支援があり、才能がありました。進学先を決めるのも、就職先を決めるのも、何もかも「面白そうだから」という理由のみで決め、別に苦労もせずするっと合格する。細かく見ればできなかったことなんかもたくさんありますけど、それらも元をたどれば「面白そう」という単純な動機しかなくて。だから駄目だったとしても「まぁいいや」とか「じゃあもっと面白いもの探そう」という思考にしかならないんです。
言い換えれば、おそらく本気で何かに執着したことがほとんどないのでしょう。それを思い出すことすら面倒に感じるくらいには、ふわふわと生きてきました。

それが、社会人になった途端に「目標を持て」だとか「日々の積み重ねが大事だ」とか「素質はあるのにもったいない」だとか、こう、いろいろと言われるわけです。「あきらめてるように見える」だなんて、正直、大きなお世話です。
端的にいうと、めちゃくちゃ息苦しいのです。
別に、3年後にどうなっていたいかなんてわからなくていいじゃないですか。その時その時の自分が思うベストな選択をしていって、3年後にできる形がその時の実力なんです。それでいいじゃないですか。何がダメなんですか。

そういえば、研修は社内と社外の2種類があったんですけど、友達がちょっと気になることを言っていたんです。
普段の社内研修はコーディングだとかそういう技術よりで、外部研修は営業とかそういうコミュニケーション寄りの内容だったってことだけ把握してればたぶん大丈夫です。
それで、社外研修が終わったときに、帰り道で友達が
「社内(この時点で1か月半とかそのくらい経ってた)よりも社外(2日間)のが成長できた気がする」
って言ったんですね。
私は、常にありとあらゆることを学んで、わかったことがたくさんできて、それと同じくらいわからないことがたくさん見つかって、そういう点ではめちゃくちゃ楽しい毎日を送ってます。
だから、その言葉が不思議だったんです。もう少し掘り下げて聞いてみたら、「目指す方向に沿った成長か、そうでもない成長か」という尺度で物事を測っていることがわかりました。

私には、それこそ「もったいない」ものと思えてなりません。

今の彼が今の彼の目標に従って「あまり必要ではなさそうだ」と判断したものが、今後も必要になることなんていくらでもあるように思います。そんな時、彼は過去に学ばなかったこと、取りこぼしてしまったことをどう取り返すんでしょうか。
私は、目標がないがゆえに何もかもを同列に扱い、学ぶ以外の手段がありません。優先順位をつけようにも、目指すべき場所が見つからないのだから当たり前かもしれません。

でも、彼は?
あまり必要ではない、という判断を下せるのは、どうして?

それが、不思議でなりません。
それもあって、私は目標が定まらず、ただ周りの言うことに息苦しさを覚えて足掻いているのです。
ただ知りたい、ただ分かりたいだけでは、本当にダメなんですか?