無駄かもしれない足掻き

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「じゃあもっとうまいものうpれよ」

苦手なことば。

自慢ではないけど、私は絵が描けない。動物のデフォルメ画とかマスコットみたいな絵が描けるだけで、特に人がいっさい描けない。でも、いろいろな漫画とか挿絵とか動画とかを見ていて「これはちょっと…」と思うことはよくある。表に出さないだけで。
動画を作るスキルもない。Windows Movie Makerを使ってごく簡単なものは作れるが、公に出せるレベルのものはまず作れないし、センスがない。
歌もへたくそだ。以前はほんの少しだけ声楽をかじっていたこともあったが、耳のこともあり、ちょうど喉の調子を悪くしてしまってそれ以来出せる音域がだいぶ狭まってしまった。でも変に絶対音感だけがしっかりと残ってしまったために気になりすぎて自分の歌だけでなく他の音にも敏感に反応してしまう。相対ならまだよかったかもしれない。

できることと言ったら、人よりほんの少しだけ早く、ほんの少しだけ長い文章を書くことくらいだ。

そんな私でも映像を見ていて「これはちょっと」と思うことはある。
表に出さないだけで。

で、それを表に出すと何が返ってくるのかというと「じゃあもっとうまいんだよな?発表できるよな?」というフレーズだ。これがものすごく苦手だ。嫌いなわけではないが、どんなに好きな映像を見ていてもこのコメントがつくとしばらく見る気が起きなくなる。できるわけがないじゃん。できなかったら「これはちょっと」って言うのもダメなのかーと落ち込む。

私はいろいろつまみ食い的にあちこちを見るのではなく、好きなクリエータさんをひたすら追いかけるタイプだ。たまに開拓のためだったりさまざまなつながりで新しい人を見つけるだけで、たいていは好きなものをひたすら繰り返し見ている。だから、見ているうちに些細な崩れとか、矛盾点とかそういったささくれのようなものに気がつくことが多い。1回さらっと見るだけでは絶対に気がつかないだろう。でも、言ったりはしない。次の作品を見てさらにうまくなっていて喜ぶ程度。

この「できないなら口出しするな」は、作品が好きすぎるがための行動なのだろうか。好きなものをけなされた気分で反撃しているのだろうか。仮に私がクリエータなら、そんな小さなことに気がつくまで見ているのか!とうれしくなる。数は少ないけど確かに存在するそういう人たちのために、次はもっといいものを作ろうと思う。そのとても小さなやりとりを潰すあのフレーズは、本当に必要なのかなぁ。

と思ったりする。

「作者はクソ」とかそういう作品見ているのかどうかわからない感情的な批判(とも言えないような何か)は、それはそれでどうかと思うけども…。
とにかく、好きだからこそ次のために気がついてもらいたいことがある!という感情を封じる暴力はよくないよね、と私は思ってます。

最近見かける回数が増えたので今思っていることをまとめておいた。