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無駄かもしれない足掻き

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永遠を手に入れる

やはり東京事変は神。
ちなみに、新宿のタワレコでは事変が新譜コーナの半分くらいを乗っ取ってるから一度見に行くと感動すると思う。
それから、昨日寝る前にTwitterでサークルの後輩と数学について話した時「数学ガール」を例に出して、それからふと読みたくなったので図書館で借りてきた。人気図書らしくて私が読んだことのある第1巻(?)ではなく2008年に出た「フェルマーの最終定理」のものだ。今は大体「剰余」の定義付けのあたりまで読み進めたが、やはりおもしろい。
東京事変と数学という私の好きなものが揃って最高に機嫌が良かったせいで、今はとても疲れて眠い。普段は感情がそこまで激しく上下しないせいで、こういったことがあると疲れてしまう。年をとったのかな。

そう、私は数学が好きだ。文系の極地ともいえる文学部系に所属してはいるが一番好きな科目は数学だし、現代文はむしろ苦手な部類に入る。高校までの科目分類で言うと、
1.数学
2.古文
3.生物
の順に好きだ。物理と地学、倫理、日本史は履修していないので除外する。ちなみに周囲からも「理系だと思ってた」とよく言われる。大学が決まって報告したら一様に驚かれたのはよい思い出だ。ちなみによくできた順で並べると英語→古文→政治経済なのでまぁ文系でよかったかな、と思う。今も数学の知識は大体2B止まりだし、それでも使える知識を総動員させて道筋を見つけて証明していく、というプロセスが好きだ。微積はできない。
大学に入ると、さすが文系の極地なだけあって「数字を見るだけでじんましんがー」「数字無理ー」な方々が周りに増えた。後ほど心理学を学ぶ人々と少し親しくなったら、どうにかこうにか数字(統計)を扱っているようだった。しかし、純粋に数をもてあそぶためだけに数学を使っている人、もしくは数式的に物事を考える人というのは学部内ではお目にかかったことがない。

しかし、突き詰めて考えれば数学と文学というか文字・言葉って同じことだと思う。

どちらも概念的で「こんな感じのものを○○とする」と定義づけなくては使えない。そして何より、どちらも「永遠」を手に入れることができる手段なのだ。
今の技術では人間は永遠を生きられない。経験できないそれをどうして把握しているのかと言えば、「えいえん」ということばがあり、証明された整数の集合があるからではないだろうか。実験も実証もできない概念を手にするには、実体のない虚ろな概念の定義付けで対抗するしかない。そしてそれは数学と言葉に与えられた特権ではないだろうか…。
なんてことを考えた。だから、私にとってはブンガクをしている人が数学わからない、嫌い、というのはいまひとつわからない。確かに微分積分とかベクトルとか、行列とか、そういった具体的な方法論みたいなものは理解しがたいものがあるのかもしれない。だが、初歩的方法である、変数を定義して数式を作ってそれぞれの性質を調べ、一歩ずつ道の領域に踏み出していくというプロセスは十分ブンガクにも応用が効くものだと思っている。永遠とか愛情とか、そういう目に見えない虚ろなものを扱うなら、同じくらい虚ろな数学を愛したっていいんじゃない?
ってことを思っていても多分私の周囲では数学拒否症候群(今名付けた)ばかりだし、逆に数学できる人はできる人で私の理解できる方法論を超えてしまっているので1人で黙々と考えますよーだ。

ボンボヤの感想はそれ以外のことが絡みつき過ぎているのでまた気が向いたら。正式な発売日は明日だし。